医療現場の現状 ホリスティック医療と統合医療の必要性

ミッシェル・フーコーは、著書『臨床医学の誕生』(1998)で、医師の患者への「まなざし」の変化という観点から、医療がどのようにして現在のような医師と患者の関係を持ち得るに至ったのかを叙述しています。
例えば、患者への問いかけで、かつて、医師は患者に、 「どうしたのですか」 と問いかけていました。
しかし、患者への新しいまなざしの登場によって、 「どこが悪いのですか」 と問いかけに変化が生じたのです。

この問いかけの変化は何を意味しているのでしょうか?
簡潔に言えば、病気というものを「身体全体にかかわるもの」という考えから、身体を「機械と同じように、様々な部品が作り上げた集合体」とみなし、病気とは身体の部品、それぞれの故障だと考える立場への移行が生じたという事です。
私達が病気になって病院にかかる時も、科毎に専門医が診断します。
部分的であってトータル的に診断するとは言えません。
これを見ても、人間の身体を部品の集合と捉える近代医学のまなざしが明瞭に見てとれます。
フーコーはこの著作を通して、医学的「まなざし」がいかにして、人々の身体を支配する概念をつくり上げてきたかを明らかにしました。

現代社会の医師のまなざしは、医療技術や医学の発達の影響を受けた結果、生体の深みを突き抜けて、全く別のところに注がれているように思われます。
現代の医のまなざしが見るものは、身体を検査によって徹底的に数値化し、医師はその数値を見て身体を捉えます。
CTやMRIの画像はまなざしは、数値をコンピューターで処理し画像化したものです。
そして、医のまなざしに大きな影響を与えました。
患者を前にしていても、医師の眼は検査値や画像・コンピューターに向けられている事が多く、そのまなざしは、「生老病死」という予測不可能、統御不能なものを抱えた、かけがえのない自然身体を巧妙に避けていると思われます。

「健康とは、数値に安心する事ではなく、自分が「健康だ」と感じる事です」 と、日野原重明医師は仰っています。
あまり数値だけに振り回されないようにと……。

全人的(ホリスティック/holistic)という考えは、生命を単に身体的・生理的な面のみならず、心理的・精神的観点から、また、社会的・環境的観点、さらには倫理的・宗教的観点から全体的・統一的に捉えていこうとする態度を表しています。
全人的な健康とは——
第1に、身体の全体的なバランスが保持されてはじめて健康と言える。
第2に、身体と心の健康が統合されなければならない。
第3に、他者との良き人間関係なくして健康はあり得ない。
第4に、人間の健康は社会的かつ自然環境の健全さの中でこそ保たれる。
最後に、人間の命は宇宙・地球的な規模のスケールの中で保たれているので、健康の究極はそれとの一致・調和であると言える。
——と考えられます。
もし、全人的(ホリスティック)な健康というものが、上記のような全て揃った申し分のない完全性を意味すると、それは、
「健康とは、身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態であって、単に疾病がないとか虚弱でないというだけではない」
というWHOの健康の定義の意味をさらに拡大したものと言えるでしょう。

このように、前述した代替医療の立場を正しく理解する人が増えるにつれ、Integrative Medicine(統合医療)という考え方が、次第に形を成してきています。
これは、当然の成り行きですが、代替医療と近代西洋医学を統合しようというものです。
欧米では、30~40年前から代替医療が公然と行なわれ、イギリスでは霊性的なスピリチュアルヒーリングの治療も保険適用になっています。
日本は宗教感が薄いので、この分野の事が医療として認められるのは困難かと思われます。